とあるCMより。父と娘(ゆきちゃん 5歳くらい)が手をつなぎ街中を歩いている際の会話。
父 「今年は何もできなかったな~」
娘 「絵本いっぱい読んだじゃない!」
父 (何かに気づいたような顔をして)「そうだな~」
娘 「ママとも、いっっっぱいおしゃべりできたし!」
父 「だな!」
娘 (父の目の前に立ち、真っすぐに父の目を見て)「ゆきは楽しかったよ!」
父 「パパも楽しかったです!」
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2020年は、何と表現したら良いのか…たくさんの制限を受けてきた、これまでに経験のしたことのない1年だった。これは僕だけに限らず、全ての人に共通する事。
ただし、たくさんの制限を受けたからこそ、今までにない考えが生まれた・再認識できた1年でもあった。
1つは…より強い(広い?)制限のある中で何をしようか、何ができるかを常に考えるようになった事。
僕だけに限らず、現場からもこれだったら出来るんじゃないか?といった今までにない発想がどんどん生まれてきた。これは「0が1になった」と捉える事もできるわけで、ある意味成長なんじゃないかなと年末を迎えた今、思っている。
そしてもう1つは、「当たり前の事」の幸せさを噛みしめる(再認識する)事ができ、改めて入居者の方々に対し「当たり前の生活」を提供できるよう努めていかなければと思えたこと。
ゆきちゃんの「絵本をたくさん読めた」というひと言。コロナ禍でなければ普通に通り過ぎてしまったかもしれない出来事だが、コロナ禍だからこそ「当たり前の事が当たり前にできる事の幸せさ」「当たり前のように健康に生きている事の幸せさ」を感じ取る事ができたのだと思う。
コロナにより悲しい想いをされた方もたくさんいるであろう中、このようにポジティブに物事を考える事は不謹慎なのかもしれない。ただ、現実を、今を考えた時に、自分自身が悲壮感に漂う事、政府や政策を批判する事がコロナを封じ込めると=で結ばれるとは思わない。
どの瞬間にも自分自身が成長するきっかけはあると思うし、結局は自分自身がやる事(自身の感染予防策の実施や、周囲の人達への感染予防の啓もう等)に大きな変化はないのだ。
毎年書く事なのだが、僕は「年」や「年度」の変わり目をきっかけとして目標を立てる事があまり好きではない。変わり目をきっかけとしなくても、明日から、いや今からやればいいじゃん的な事が多いからだ。
明日からも変わらず感染対策への意識を高め、今何ができるのかを模索していこうと思います。そして、当たり前の事の幸せさを噛みしめながら、その当たり前が入居者の皆様に少しでも提供されるよう努めていきたいと思います。
終わりに…
【入居者の皆様へ】
不安な1年を過ごしていただく形となってしまい申し訳ありません。コロナが落ち着いた暁には、皆さんがしたい事ができるよう、想いが形となるよう精一杯務める(努める)事をお約束します。
【ご家族の皆様へ】
こちらも不安な1年となってしまい申し訳ありません。施設内において感染症が発生する事のないよう職員一同努め、入居者の皆様が安全に健康に過ごせるよう、ご家族の皆様に安心していただけるようこれからも意識してまいります。
【職員のみんなへ】
よく我慢しました。けれども終わりではありません。ひとり一人の努力が「終わりの始まり」となります。介護職員としてではなく、いち国民として何ができるのかを常に考え、終わりの始まりがきた時にはみんなでパーッと(表現が古いですかね)やりましょう。1年間、本当にありがとう。
そして、こんな僕の拙い文章を読んでくれているかわかりませんが
【医療従事者の皆様へ】
最前線で踏ん張ってくださっている皆様がいるからこそ、自分たちの命が、生活が護られていると痛感しております。
大変な中、本当にありがとうございます。感染への不安や、長時間勤務等の疲労と向き合いながら、国民の生命を護る皆様に敬意を表し、深く感謝を申し上げます。
※あ、CMはマックのCMです。興味のある人はYoutubeで「たいぞう マック」で検索(笑)
今年1年、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
フロア責任者 毛呂征也