梅本ブログ

July 2012 一覧

積み上げ

2012.07.04. / Posted by otake

こうだったのが・・・・・

【撮影/2011(平成23)年10月12日】

 

 

こうなり・・・・・

【撮影/2012(平成24)年3月13日】  1階躯体

 

 

 

そして、こうなり・・・・・

【撮影/2012(平成24)年3月27日】  2階躯体

 

 

さくら 咲く

【撮影/2012(平成24)年4月10日】

 

季節には、こうなり・・・・・

【撮影/2012(平成24)年4月10日】  3階躯体

 

 

さくらが散った頃には、こうなり・・・・・

【撮影/2012(平成24)年4月24日】  4階躯体

 

 

梅雨が始った頃には、こうなって・・・・・

【撮影/2012(平成24)年6月18日】  5階躯体

 

 

梅雨の晴れ間にはこうだったのが・・・・・

【撮影/2012(平成24)年6月26日】  地上躯体、間もなく完了

 

 

【撮影/2012(平成24)年7月2日】  こうなりました。

 

数え切れないほどの職人さんたち

竹中・株木建設共同企業体のみなさん

類設計室のみなさん

 

他にもたくさんの人(専門職=プロ)たちが、『おたけの郷(建物)を造り上げる』という共通項の目標(めざす姿)に向かって、ここまで積み上げてきてくれた。

 

 

 

僕たちの仕事も同じだ(で、なければいけない)。

 

 

支援の専門職(プロ)として、

 

入居者(利用者)の方たちに「どんな姿で生きてほしいか」という「めざす姿」をしっかりと描き、

 

その「めざす姿」を、その人(入居者・利用者の方たち)につながっている全ての専門職(プロ)の共通項として、

 

共通項としたら、各々が自分が担うパフォーマンス(仕事)を全力で行う。

 

 

 

そんな自分が担う、全力で行うパフォーマンス(仕事)で大切なのは、パフォーマンス(仕事)を地道に積み上げていくこと。

イベントではないから、そこに派手さや華やかさはない。本当に地道で地味だ。

でも、その日々の地道な積み上げがあるからこそ、入居者(利用者)の方たちに「めざす姿」を取り戻し、維持することができるのだ。

 

 

 

1年前に歩けていた○○さんが、1年後も歩いている。

 

その姿は、

「よくやったなぁ」  「頑張ったなぁ」

そう言っていい、支援の専門職(プロ)たちが、プロのパフォーマンス(仕事)を積み上げた「めざす姿成果)」であり、

僕たち支援専門職(プロ)のプロたる所以。・・・・・・・・・・じゃなきゃいけない。

 

 

そこをどこかに置き忘れ

「楽しく」

「笑って」

「癒して」

「穏やかに」

などなど

 

ばかりを追いかけ(そこにしか目が向いていない)、イベント・余暇活動・療法etcにばかり(それだけ)一生懸命では、支援の専門職(プロ)としての、プロたる所以を放棄してしまっている。・・・・・・・・・・ことにもなると。

 

 

たくさんの人(専門職=プロ)たちの積み上げによって、日々完成に近づいていくおたけの郷(建物)を見ていると、そう思うのだ。

 

 

梅本 聡

Category : 日誌

追求と挑み

2012.07.03. / Posted by otake

「どうして特養なんですか?」

 

 

 

この業界に入って18年。

前職は、10年半、認知症対応型共同生活介護事業所(以下「グループホーム」)のホーム長。

 

そんな僕が次に生業の場として選んだのは、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)(以下「特養」)でした。

 

 

 

そんな中、その事実を知った人たち(梅本を知る人たち)からよく言われたのが、「どうして特養なんですか?」。

他には「どうしてグループホームじゃなくて、特養なんですか?」とか、中には「梅本さんが特養って・・・・・何だかガッカリです」なんていう、「おいおい」と言いたくなるようなコメントを投げかけられたこともあります。

 

 

 

この人たちは、僕が以前働いていたグループホームで、「タイムスケジュールなし」「出来る限り自分でできることは自分で頑張る」「食の支援は、みんなでメニューを決めて、買い物に行き、自分たちで作り、そして食べる」・・・・なんていう支援を実践していたことを知っている人たちで、だから「なぜ特養で働くことにしたんだ?」と疑問に思ったようです。

 

 

 

何せ、その疑問の背景には、「特養では、そんな支援は無理でしょ」ってことがあるから・・・・・。

 

そう思うのも、無理はないのかもしれません。

 

 

 

まず、特養とグループホームでは、同じ入居型施設でありながら、(最低)人員配置基準が違います。

 

 

 

【グループホーム】

日中の時間帯

入居者:介護従業者=3:1以上の比率で配置

 

 

 となっていて、しかも “毎日” この3:1以上の比率で介護従業者を配置しなければいけない「実配置人員換算」になっています。

 

 

対して、

 

 

【特養】

日中の時間帯と夜間・深夜の時間帯を含めて

入居者:介護職員・看護職員=3:1以上の比率で配置

 

 

となっています。

 

 

特養では、グループホームのように毎日3:1以上の職員を配置するという決まりではなく、雇用している介護職員・看護職員の総数が入居者数に対して3:1となればいい「常勤配置換算」。

 

すなわち、月平均で3:1以上の比率になる介護職員・看護職員を配置していればいいので、日中、何人の職員を配置するかは、その施設の考え方で決めていい仕組みなのです。

 

 

 

職員の配置数は、イコール入居者の行動を保障する数に結びつくので、この人員配置基準の違いは大きい。

 

 

 

また特養は、グループホームよりも歩んできた歴史が長い分、運営を行っていく上で遵守すべき法令が介護保険法、社会福祉法、老人福祉法と多くある上に、そこに消防関係や介護保険法(運営基準等)とのすり合わせが十分できていないと感じる食品衛生に関する法令などの関係法令もたくさん絡み合ってくるので、法でがんじがらめの感があります。

 

 

さらに歴史が長い分、行政が制度や指導等で歪ませている部分が多くあるとも言えます。

 

 

それに対しグループホームは後発であることもあって、法のがんじがらめ感や行政の指導等による歪みも少ない分、「できることの幅」が大きいと感じます(グループホームに身を置いていたからこそ、そう感じます)。

 

 

また、施設は収容の場から住居化へという流れから、できる限り人が当たり前に送る実生活からかけ離れないような設備、自立型・自炊型の環境が整備されている点、個人への支援(個別ケア)がしやすい形態であるという利点もグループホームにはあります(この利点はユニット型特養も同じ)。

 

 

 

なので、グループホームだからできることがあるのは事実で、裏を返せば「特養では難しいこと(無理?)」であるとも言えるのです。

 

 

 

が、しかし・・・・・なんです。

 

 

 

さまざまな制約や不利な条件が多いかもしれない特養でも、掃除や洗濯などの生活行為を入居者の方たちが行ったり、食事

は無理でも飲み物は自分で選べたり(選べるように選択肢を用意する)、30分でもいいから食事の時間に幅を持たせ、食べる

時間の選択権を入居者の方たちに提供するなんてことも「特養でもできること」ではないでしょうか。

 

 

ユニット型特養であればこのほかに、ユニット単位での生活の組み立てが可能です。また、人が当たり前に送る実生活を実

現しやすい環境を持っていますから、自分に必要な日常生活行為は自分で行える可能性も秘めています。

 

 

さらに、ユニットは他人同士が一緒に生活を営む共同生活住居だという発想を持てば、入居者の方同士の助け合いや職員が

入居者の方の力を借りるなど、互いに助け合うこともできる。これも「ユニット型特養でできること」だと思います。

 

 

だからこそ、ユニット型特養であることが、入居者の方一人ひとりへのかかわりを増やすために規模を小さくしたというレベ

に留まっていたり、そのことがユニットケアを実践する目標であっては、結局のところ入居者の方たちは受動的な生活にな

のではないでしょうか。 

 

 

 

「特養では無理」という考えが生まれてしまう背景が理解できるからこそ、大切なのは「そこに暮らす人たちに、どんな姿で

生きてほしいか」という、支援専門職としての「めざす姿」をしっかりと描き、その描きをそこで働く人たちの共通項とし

て、その描きの実現に向けて、自分たちに「今できること」「これからできることの可能性」を常に探ること。

探り当てたものに、挑むこと」が大切なのだと僕は思います。

 

 

 

「めざす姿」の追求ってやつです。

 

 

 

それは、特養でもできます。できると信じています。

もうすでに頑張っている特養もあります。僕はそんな特養を、そんな仲間を知っています。

 

 

だから、僕も「めざす姿」を追求します。挑みます。

その追求と挑みの歩みが、たとえ牛歩のごとくであっても・・・・・。

 

梅本 聡

Category : 日誌